生誕120周年~「小津安二郎とフランス」~没後60周年
特別講演会 フランス人が語る「小津とフランス」
講師:札幌アリアンス・フランセーズ
院長 ニコラ・ジェゴンデ
日本を代表する映画監督・小津安二郎の生誕120年、没後60年を記念した講演会が8月20日、札幌アリアンス・フランセーズで開かれました。講師は同学院の二コラ・ジェゴンデ院長で、「Ozu et la France 」(小津とフランス)と題し、小津安二郎がなぜフランスで高く評価され、世界的な監督の地位を獲得したかについて、個人的な体験も交えて語りました。
会場には小津ファンや映画愛好者25人が聴講し、院長の講話に耳を傾けました。
講演会は、道立文学館で開催された「小津安二郎展」にちなみ、札幌日仏協会/アリアンス・フランセーズが準備を進めてきました。学院では小津の著書や新聞評、ポスターなどを展示する企画も8月いっぱい、同時開催されています。
ニコラ院長は講演で、小津がフランスで認知されたのは、生前ではなく、没後15年となる1978年だったとの意外な事実をまず紹介しました。その役割を果たしたのが元大統領フランソワ・ミッテラン氏の甥で映画評論家のフレデリック・ミッテラン氏でした。
ミッテラン氏は現在パリ15区にあるアントルポ(フランス語で「倉庫」の意味)という場所で小津の作品上映会を開き、フランス人に初めて小津作品を上映する機会を提供しました。これがフランスのシネフィル(映画好き)に反響を広げ、一躍ファンの心を捕らえます。この波が世界へと広がり、小津は海外で高い評価を獲得することになりました。フランスなくして、現在の小津の存在は語れないことになります。
なぜそれほどまでにフランス人の心を鷲掴みにしたのでしょうか。
ニコラ院長はその一つとして、小津作品の映像美を挙げます。抑制された画面、固定された低い位置から撮影スタイル(タタミ・ショット)、美的な映像感覚。これらが、「美意識」に優れたフランス人を刺激したと分析します。
もうひとつが「家族」の視点。家族とは自己存在の中心となる場所であり、人生の喜びや悲しみ、ドラマを生む場所でもあります。小津の作品はこの家族の風景を実に美しく描き尽くしており、これが心に響く大きな要因になったと指摘しました。
ニコラ院長はブルターニュ地方の中心都市レンヌで学生時代を過ごしました。レンヌには、アンドレ・マルロー元文化相の提唱で建設された素晴らしい文化センターがあり、そこで上映される数々の映画の中から、小津の作品と出会い、魅了されます。その思い出も懐かしく語られました。
(理事長・加藤利器)